性欲を運ぶ人間

数日前の話になるが、元都知事がツイッターに上げた画像にXVIDEOSというアダルトサイトへのブックマークが移りこんでおり、大いに笑い者/さらし者になっていた

 

日本人の成人のおよそ半数はこのサイトを見ているにも関わらず、笑い者になっていたのは公人がアダルトサイトを閲覧していたということ以上に「60歳を過ぎて・・・」という所が大きいように思う

40歳以下の人にとって、性欲とは60歳になるまでに雲散霧消するものという認識であることはそれほど低い確率ではないだろう

だからこそ、今回の件がある種の畏怖を含んだ笑いになっているのだが、実際としては性欲はそう簡単には霧消してくれるものではない。

老人ホームでコンドームが落ちているという話はチラホラと耳に入ってくるし、60代のセックスに関する記事が我々の耳目に引っかかることも0ではないだろう

年齢とともに、あるいは一定の年齢に達するまでに我々が種の保存(ここでは、単に自分の子供を残すという意味合いで使っている)において、不要となった性欲という推進剤が捨てられたり、失われたりすることは無いということを我々は事実として受け止めなければならない。

 

性欲と向き合うということはそういうことなのだと思う。

(もちろん、「今この瞬間」という軸の性欲とも向き合わねばならない)

 

我々人間は生まれて、育って、多くの場合子供を残してそして死ぬ

生の目的は多々あれど、種としてはこのサイクルを繰り返すことが目的で、そのサイクルを成立させるすべての行為が人間の目的ともいえる。

 

人間は食べるために生まれ、寝るために生まれ、そしてセックスするために生まれる

 

そして、それは同時に「食べる能力」「寝る能力」「セックスする能力」の次世代への伝播も担っていることを意味している

 

呪いのようなものかもしれない。60歳を過ぎて自慰行為に耽るというのはその半分も生きていない自分からすれば中々にどんよりとした感情が浮かび上がってくる。ただ、受け入れるしかないでしょう。

将来の自分が過去の自分からの軽蔑の目に耐えられるほど強い心を持っているとは到底思えないのだから。