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悪人を断罪する武器を研ぐ人たち

昨今の過剰なまでの生活保護バッシングなどを考えるときに、「社会保障制度の悪用をただす存在」を意識しないというのは無理なものがあると思う。

 

彼らにとって悪人は裁きの対象であり、攻撃されて当然の存在というものなのだろう。

 

月並みな前置きを言うことになってしまうが、社会保障制度の悪用自体は裁きの対象となるという点については同意しよう(社会保障制度の設計の良し悪しは置いておくとして)

ただ、そこで私が感じるのが「あなたの定義する悪人を攻撃する刃は善良なものを傷つけないか」という点だ

そして、その「悪人の定義」は誤っていないだろうか

というものだ

 

世の中に不正はたくさんある。悪も悪意もたくさんある。

問題はそれらがある一つの線を境に裁きの対象となるかどうかが分かれるわけではないことだ。

そしてまた困ったことに、「一つの線を境に明暗を分けることが出来る」と考えている人の持つ境界線が同一のものではないということだ

この意に対して法という線引きがあるのではないかと反論が来るだろうが、であるならば、粛々と裁判の経過を支持すればいいだけで、個人やたかだか行政府の人間がバッシングに対して積極的な参与を行う必要はまったくもってないはずなのだ。

 

不正や悪意は「どの程度か」というグラデーションでしか測れない、であるならば我々が用意すべき武器は「一定のラインを超えた人を確実に殺す武器」ではなく「不正の程度に応じた大きさのダメージを与えられる武器」であることは明白だ

 

本来ならばそれは政治家の仕事なのだが、まぁこの国というかこの政権の人間には土台無理な話だろうし、ヒステリーな感情論に右往左往させられる国民性では私が生きている間にそのような状態を迎えることが出来るのだろうかと、悲観的になってしまうより選択肢はないのであった