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何が動くか

斎藤茂吉の有名な短歌に

 

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて垂乳根の母は死にたまふなり

 

というものがある。一般的な解釈は「梁に居るツバメ(おそらく親子)と目の前の亡き母の生死の対比」というものを軸としているが、私が学生の頃に教員からこのような解釈も受けた。

 

母親が死んで悲しんでいるときに、ふと上を見上げるとツバメが目に入った彼は「あぁ、ツバメがいるな」とぼんやりと思った。ツバメに気を取られていたわずかな時間、彼の頭から母親の死は抜けていたが、すぐに母親が死んだのだということを思い出し、また悲しみに暮れている

 

というものだった。

この解釈を聞いたとき、生死の対比以上に私の心を揺さぶったのは間違いない。

我々が「衝動」や「慟哭」と言った単語を使う時、それは「心の揺れ動きを示す表現」と連れ合って用いられることが多い。

突き動かされるから感情なのであり、声を上げて泣くのは感情が強く揺り動かされるからだ。

感情とは心の動き/変化を示すもので、状態を指し示す語ではないということなのだろう。